東日本大震災から6年 被災地巡りツアーに行ってきた|宮城・岩手津波の傷跡

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こんにちは、まーしー@46(@Macy_46です。

2017年8月、夏休みを利用して一人旅に行ってきました。ボクは既婚者&子持ちなので一人になれる時間はとても貴重です。

我が家は共働きなのでお互いが協力しあって少しでも自分だけの時間が取れるように努力しています。今回は嫁さんの理解と協力もあって2泊3日の一人旅の実現となりました。

一人旅は日頃の疲れを癒やすにはとても良いレジャーなので、同じように育児に疲れているお父さん方はぜひ最後までお読みください。

 

単なる好奇心、津波で流された跡地を見てみたい

ボクは好奇心を原動力としています。今回はあの忌まわしい記憶、2011年3月11日に発生した東日本大震災、津波で2万人近くの人が命を失う、または行方不明で家族の元に帰れないという第二次世界大戦以降世界最大、まさに桁違いの大災害でした。

ボク自信も東京で被災、怪我や家屋の被害はありませんでしたが、あの日の記憶は忘れることはできません。

ということで、それなら実際に被災地を見に行こうじゃないか、ちょうど夏休みだし一人旅をしよう、そうしよう。と思ったワケです。

僕はカメラが趣味なので、今回の旅行ではとにかく写真をたくさん撮ってきました。今回のブログではその写真も含め、被災地の今を紹介していこうと思います。

 

東京発、仙台・岩手被災地巡りツアーの概要

今回は東京をマイカーで金曜の夜(土曜日の明け方)に出発して、仙台に2泊しつつ、あちこちを巡る計画でした。

今回は福島はパスして主に太平洋沿岸、津波の被害が大きかった地域を巡ってきました。

8月某日(土曜日)都内某所を出発
~AM8時仙台 若林地区に到着

スタートは夜中の3時 都内某所を出発~東北道で一路仙台へ

愛車セレナに乗って夜中の3時に家を出ました。この時間帯は一般道も高速道路もガラガラでドライブするには最適ですね。

朝ごはんを食べずに家を出てきたので、まずは朝食です。最初の休憩ポイント、「那須高原SA」です。

土曜日の朝5時半に栃木県の那須高原SAに到着しました。まだ人もまばらですし、今年の夏は肌寒い日が多かったので北関東の明け方は真夏とは思えない気温でした。

とりあえず腹ごしらえ!ってことで売店とレストランに入るもまだ営業開始前。軽食程度なら食べられそうなので体とお腹を温めるためにかき揚げそばを注文!

那須高原SA名物(?)の芽吹きかき揚げそば 780円でっす。いや~明け方5時半に食す天ぷらはまた格別ですな~。

甘みのあるダシに唐辛子をどばっと入れて食べるのがボクのスタイル。さくさくのかき揚げとあいまってウマイっす。立ち食いそばのようなスピードで胃の中に流し込み、あまりゆっくりもしていられないのでこのあと眠気覚まし用のお茶を一本買って東北道をぐんぐん北上していきます。

最初の目的地、仙台市若林区に到着

仙台若林ジャンクションに到着したのがAM8時くらい。小雨が降り気温も低い。高速道路を降りると建物がほどんどなく視界が開けた道が続く。しばらく走ると、なんとなく雰囲気がおかしいのに気がつく。地域に生気がないというか空気が違う感じがした。

このように見渡す限り何もない。田舎では普通の光景なんだけど、この時は感じ方がちょっと違ったな~。

仙台市立荒浜小学校(震災遺構)

見渡す限り何もないところに、急に大きな建物が見えてきた。仙台市立荒浜小学校だ。形は留めているものの、既に学校としては昨日していない。「ありがとう荒浜小学校」の掲示があるように、ここに避難して命が助かった人は320人。津波は校舎二階の中腹くらいまで来たそう。

 

 

荒浜小学校を通り過ぎ、さらに先に進むと砂浜が見えてきます。周りをよく見ると、草むらの中にコンクリートが見えてきた、TVやネットでは見ていた光景だが、実際に目の当たりにするとその衝撃は物凄い。基礎だけを残して見渡す限り何もない。

この辺りには何百件という住宅が立ち並び、当たり前の日常があった。本当に「街ごと無くなった」という表現しか出てこなくてしばらく無心で写真を取ってたな。

今はもう何もなくなった海水浴場に東日本大震災で犠牲になった方の慰霊碑が立っていた。なくなった方の名前を年齢が刻まれていたんだけど、小さな子供の名前も数多くあり、この場所にいるのも結構キツくなってきました。

 

石ノ森萬画館を見学

ちょいと移動して、お次は石ノ森萬画館です。仮面ライダーやサイボーグ009なんかで有名な漫画家ですね。

ボクが一番驚いたのは、この石ノ森萬画館は震災後に作られたものだとばかり思ってたんですね、でも違いました。

3月11日の津波で甚大な被害を受けていました。

震災から6年が経ち、石ノ森萬画館は復活していました。今では大勢のヒーローが出迎えてくれます。

しかし石ノ森萬画館の駐車場へ向かう道には慰霊の花束が備えられていました。ここでもたくさんの方が亡くなったようです。

よく見るとあたり一面、建物がありません。このあたりもあの日全てが流されてしまったようです。

 

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このあとも追加予定~

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